わたしは幼い頃から、心理テストや占いが大好きでした。
血液型占い、動物占い、12星座占い…
様々な診断結果を自分に当てはめて、自分をカテゴライズするのが好きでした。
ですが、この答えのどれも本当のわたし自身を説明していない気がして、自分探しはなかなかやめられずにいました。
ある時ヨガに出会い、体と心が整ったとき、初めて"わたし"という感覚に出会いました。
探していた本当の自分は、占いではなく、自分の内側にずっと既にあったものなんだと気がつきました。
その時の感覚は、全ての物事をただ冷静に"観ている"感じでした。
ところでみなさんは、自我と真我の違いをご存じでしょうか?
(突然すみません笑)
自我は偽物の自分、真我は本当の自分
とも言われています。
真我は、あらゆる苦しみから抜け出し
とても穏やかな状態と言われています。
では、本当の自分を表す"真我"(アートマンとも呼ばれます)とは、一体なんなのでしょうか?
わたしたちは、どのようにして真我の境地に至れるのでしょう?
それを理解するには、偽物の自分を表す"自我"について、よく理解する必要があります。
自我とはなに?
自我は、エゴとか顕在意識とかさまざまな意味で捉えられますが、
ここでは「"自分は〇〇だ"と認識している自分のこと」ということにしておきます。
つまり、セルフイメージです。
「わたしは○○」の○○の中には、ネガティブなものが存在します。
例えば
「わたしは落ちこぼれだ」
「わたしはもっと痩せるべきだ」
「わたしは親から愛されていない」
など、このようなセルフイメージはたしかに苦しみを生みそう…と、理解できますよね。
ですが、ネガティブではない
「わたしは女性だ」
「わたしはしっかり者だ」
「わたしはヨガが好きだ」
というようなセルフイメージは、一見全く害のないものに見えます。
ですがどちらにせよ、わたしたちはセルフイメージがあるために、自我という苦しみの中に飛び込んでしまうのです。
例えば
"わたしは女性だ"と多くの女性は幼い頃から理解していますが、
そこから、様々な自我が派生します。
成長して恋愛をするようになれば、
"女性であるわたしは美しくないと価値がない"
"女性であるわたしは男性に魅力的に思われるように振る舞うべきだ"
など、こんなセルフイメージが加わる場合もあるかもしれません。
ですが、肉体は年齢を重ねるにつれ衰えますから、いつまでも異性にとって魅力的で美しくはいられません。
女性らしさや美しさに執着が生まれることで、老いる苦しみが生まれてしまうのです。
ヨガの教えが書かれた「ヨーガ・スートラ」によると、自我は"変化する"自分と言えます。
自我が生む苦しみは全て、"変化するもの"に執着していることによって起こるのです。
ヨガは心身を整えて自我の執着を手放し、真我に近づく努力をすることで、苦しみを減らすことを目指しています。
真我とは、なんなのか?
では、「真我」とはどのような状態なのか。
それは、ただの"わたし"であることです。
自我には、
わたしは○○
と、自分をあらわす○○がついていましたね。
ですが真我は、"I am."
その先になんの言葉も入りません。
ただ、"わたし"であるということ。
肩書きでも、性別でも、肉体ですらない。
そんな"わたし"が、真我なのです。
真我に触れるために今日から始められること
真我は、とても穏やかな状態です。
全てが統合され、感覚からは切り離されている。
だからこその穏やかさが、そこにはあります。
無であり、有である感覚。
そんな感じでしょうか。
そんな真我に触れてみたい!と思った時、わたしたちにまず必要なことは、
五感と思考を制御することです。
静かな場所で目を閉じ、頭を空っぽにすることをする。
例えば、
瞑想やジャーナリングなどをする。
写経をしたり、マントラを唱えてみる。
音楽や創作活動に没頭する。
自然の中でぼーっとする。
など、ご自分に合った方法を色々試してみるのもオススメです。
ちなみにわたしはここ一年ほど、ウクレレでキールタンを歌ったりしています。
※キールタン=歌うヨガ。マントラにメロディをつけて歌うバクティヨガの方法の一つです。インド版讃美歌とも呼ばれています。
現代は外側に様々な情報が溢れているため、わたしたちはいつも心が動き、
混乱したような状態にあるのではないでしょうか?
また、偽物の自分である自我はそのような状態を好みます。
情報があふれているスマホばかり見ていると、自我が強くなっちゃうかも!?
あなたがもし、ほんの少しの勇気を持って
静かに内側に向き合い、
真我に触れることができたなら、
かならず本当の自分に気づくきっかけになる
とわたしは思います。